花とまなざし 〜17年間診療室の窓から眺めた旧花時計を3階へ移った今改めて想う〜
─ 2003年 フラワーセラピー普及協会発足に際し寄稿
我々人間は古来より、花に癒され花とともに生活を営んできました。それは人がより文化的な生活を送るほど、その役割を増してきたように思います。現代の日本においても例外ではないでしょう。日本はその気候にはっきりした四季を有するため、日本固有の、それも比較的豊富な花々に囲まれているのではないかと思います。ただ南国とは違って一年中咲き誇っているわけではありません。たとえば桜などのように、比較的短い時間にぱっと美しく咲いてぱっと散るということもあるわけです。毎年桜前線などといって話題になるように、日本人の心をとらえてやまないのですが、季節の移り変わりがめまぐるしい日本独特のものだといえるのかもしれません。
私は花が専門ではないので、詳しいことはわからないのですが、こういう短い花の一生のようなものが、日本人のまなざしの根底的なところに大変大きな影響を与えている気がします。むろん宗教的な影響もあるのでしょうが、ものの切なさやはかなさに嘆く一方で美しさを感じてたたえる日本人のまなざしはどことなく、美しく咲いた後は枯れて散る、といった花のはかなさのようなものとイメージが重なります。
めまぐるしく変化する現代社会においても、時には街角に、時には本の片隅にと、あちこちに花が見られます。穏やかに変化し、かつ鮮やかな色調を有する花。だがしかしその存在は普遍的であり、人々の思惟様式にまで影響を及ぼす花。特に冷たく単調な都会の風景には、すでに欠くことができなくなっているのかもしれません。自然が作り出したこの独特の造形が、見るものに特殊なシグナルを送るのでしょう。今回は天野先生らによって、花々にまた新たな光が当てられるとのこと。現代社会の悩める人々にとって、この新たなまなざしがまたよき処方箋となることと思います。
奥村秀樹記