エビデンスにもとづいた歯科治療
─ the Quintessence Year Book 1999への寄稿文より
エビデンスにもとづくという言い方は、「証拠に裏付けられた」や「論拠に基づいた」などの意味でよく用いられます。ここで言う“証拠”や“論拠”とは、信頼に耐えうるデータを提示する文献のことで、臨床における判断の根拠となすことができるものを指していいます。歯科医学の黎明期には、臨床的な判断基準はまさに気まぐれか、せいぜい臨床報告にもとづくものでした。かつては、いわゆる無定見多岐治療という言葉で表現されるような歯科医療批判も存在しました。
臨床判断の際に、材料として最も手にいれやすい知識、つまり経験に重きを置いた、いわゆるヒューリスティックス(近道思考)に頼る傾向は誰しも持ち合わせています。現に、実際に人間の行動を導いているのはこういったヒューリスティックスです。しかし歯科医学が緻密な学問体系をなすにつれて、より予知性の高い指針を得るためには、実体験だけからではなく文献などから、ヒューリスティックスの起動に関与するインストラクション(教示)を受ける必要性が出てきたのです。
“エビデンスにもとづいた”という表現と表裏一体をなすのが、流行(はや)りのクリティカル・シンキングという言葉です。文献とは一口に言ってもさまざまですが、それが信頼に耐えうるかどうかを冷静に吟味するプロセスをクリティカル・シンキング(クリティカル・リーディング)と呼んでいます。知りたい事柄を的確に把握できる研究方法なのか、収集されたデータから結論までの推理は妥当なのか、結論は知識としてはどの程度確からしいのか、といった吟味を行うわけですが、広義には世間一般に蔓延(はびこ)る“いかにももっともらしい”ウソを見抜くための知恵でもあるのです。
奥村秀樹記